「哲学のけもの道」の中で穴に落ちると見られたコーナー。
にせ妖怪を53体作るつもりが途中で挫折。そのエッセンスを残す。
妖怪道 誤重産継
ローランド・オズモンド
(1812〜1859・イギリス)
「宝を求めて、世界中をさまよい歩いても、
見つからないはずだ。一番重要な宝は、
それぞれの心の中にあるのだから」
宝箱
最初に作ったホームページ「哲学のけもの道」
RPG(ロールプレイングゲーム)風に進んでいくイカレタものだが、
そのエッセンス(イラスト、哲学者?の言葉)を残す。

「キツネに文化や、伝統はあるのか。運のいいキツネは狩られることなく、
運の悪いキツネが狩られるだけだ」バーナム上院議員の発言(イギリス)

「侮るな、ヒードラとて、鋭い一撃を持つ」※ヒードラ=イソギンチャク・クラゲ
ソフォクレス(紀元前1世紀・ギリシャ)

「愛とは、時に剣となる。相手を貫くか、自らを傷つけるか」
ニコラ・メルクーニ(1660〜1702・イタリア)

「風を直接見ることはできないが、雲の動きによって間接的に知ることが
できる。このことから、目で捉えられぬ事象は別の事象で代弁される」
ニハト・コレチャンスキー(1827〜1905・ロシア)

「永久機関を求めることは、おろかなことではない。かのエジソンとて、永久機関を求めた一人である」ベン・ホワイト(1919〜1981・アメリカ)
「勝ち負けは、コインの裏表にたとえられるが、引き分けのあるゲームについてたとえるには不十分。そう考えると、勝ち負けをたとえるべきではない」
アラン・カスパール(1905〜1943・フランス)

「川はいずれ海に注ぐ。物事には、到達すべき結論がある」
ベンジャミン・フック(1744〜1800・イギリス)

「道に迷ったら、冒険者のつもりで前へ進め」
アルフレッド・スミス(1911〜1990・アメリカ)

「若者は結論を急ぐが、老人は結論を求めない。なぜなら、
老人は急がずとも死が万人に訪れることを知っているからだ」
ジャン・ナサルニエ(1412〜1463・フランス)

「雨は全てのものに降り注ぐ。わけへだてすることなく」
ニコラ・ニコーリオ(1800〜1883・イタリア)

「新しく登場した芸術は、『子供の落書き』と酷評されるもんだ。ピカソを見ろ。今では大人が模写に訪れる」フラド・ペスカ(1929〜・スペイン)
「降り止まぬ雨などない。ノアの箱舟も、陸地を見出したのは、
雨が止んでからである」クレメンス3世(977〜1044・イタリア)


「気をつけろ。この世は一寸先は闇。一歩踏み出せば落とし穴が待っている」
フランツ・アバザン(1904〜1993・ポーランド)

「毎日すれ違う顔なじみが、今日も同一人物とは限らない。
この世は一夜明ければ、新しい世界。だから面白い。」
トム・ブーラン(1948〜・アメリカ)

「小さな川の流れは大きな流れとなって、海へ注ぐ。人も同じこと。
小さな田舎から大きな都会へと出て行くのが、自然なことだ」
ブンナク・メッヒンチャイヤット(1940〜・タイ)

「はじめて来た場所なのに、なぜか懐かしく感じる。
それは、心が求めている原風景なのかもしれない」
リチャード・キャプラム(1892〜1939・アメリカ)

「川の魚は川に住み、海の魚は海に住む」
あるアボリジニの言葉(オーストラリア)

「人はいくつもの穴と出会う。最後に出会う穴は、墓穴である」
グレッグ・ジャール(1894〜1944・アメリカ)

「選択せよ、自分が望む道を。その先に何があろうとも」
トーマス・モラノ(1691〜1777・イギリス)

「この世には、人知を超えたものが存在する。
もし求めるなら、いずれ道は
開かれる時が来るかもしれない」

エバチェリ・マッケンタイア(1955〜・アイルランド)


「いくら科学が発達しても、不思議なことはいくらでもある。
もし全てわかりきったことばかりなら、
毎日がつまらなくなってしまう」リチャード・ギル(1929〜・アメリカ)

「結んだ紐は、解くことができる。難解な問題も、いずれ正解が見つかる」
イブ・ラグランジェ(1887〜1964・フランス)

「船は羅針盤によって航路を決める。人は知識によって、人生の海を渡る」
イブン・アブラヒム(1651〜?・ペルシャ)

「探検家は、人の無智を知り、冒険家は、己の無力さを知る」
ヨルゲン・シコマネス(?〜1740・オランダ)

「新しい扉は、誰の前にも存在するが、扉の開け方を知る者は少ない」
ギルモア・ジョーンズ(1940〜・アメリカ)

「単なるロマンチストは、洞窟の奥に別世界を期待する。
本当のロマンチストは、洞窟こそにエロースを感じる」
ポール・マラッシュ(1897〜1959・フランス)

カメ登場
シカ登場
キツネ登場
「蛮勇を持って鳴る者は、新しき道を切り拓く。しかし、真を知る者は、
勇気を持って、引き返すであろう」
ヘラクライデス(紀元前3世紀・ギリシャ)

「新しい世界への扉は、どこにでもあるし、いつも鍵を開けて待っている。
新しい世界へ踏み出すには、勇気と好奇心さえあれば、他に何もいらない」
ケン・ギャザラ(1918〜1973・アメリカ)

「神ならぬ身。人智を超えた存在を畏怖せよ」
グスタフ・エフナー(1678〜1749・ドイツ)

「一般的に信じられている自然現象は、誤った認識の下に立脚して
成立したものも少なくない。往々にして精査する必要がある」
ジャン=マルク・ルシャール(1896〜1977・フランス)


「幸福な結末は御伽噺の中にしか存在せず、現実は青い果実のように苦い」
ジャン・サンサール(1812〜1845・フランス)

「悪いことは重なるわけではない、偶然の連続を悪く解釈しているだけだ」
ヤン・シュタックマイヤー(1903〜1973・ノルウェー)

「日没は一日の『死』である」ホセ・スサノ(1933〜1978・スペイン)
「輪廻転生というものが本当にあるとするならば、ある瞬間における生物の
総数には、最大値が存在することになる。もちろん前世のない生命の
誕生がないとするならばである」
野田藤次郎(1921〜1997・日本)

「大地に降りない、鳥はいない」マンドゥカ族の言い伝え(コートジボアール)
ウサギ登場
ぬりたて 類似妖怪 ぬりかべ
 なじみの公園のベンチが、一夜にして色が変わっていたことはないだろうか。さわってみると妙にベタつく。あるいは酔っ払って家に帰った次の日、昨日の服にベットリとペンキがついているのに気づき驚いたことはないだろうか。それらはすべてこの妖怪の仕業である。

一口女 類似妖怪 二口女
 ケーキのバイキングや食べ放題のお店に入ると、大量に盛り付けられている皿が、いつの間にか空っぽになっているのに気づいたことはないだろうか。店の中を見まわしてみよう。きっとこの妖怪を見つけることができるだろう。大きな口をあけてパックリと食べているところを。

 一説には「二口女」が頭の上にある口を自らふさぎ、髷を結わない現代女性にあわせ進化したものであると言われている。


一丁木綿 類似妖怪 一反木綿
 今夜は湯豆腐にするから、絹ごし豆腐を3丁買ってきてねと頼まれ、店から我が家に帰ってきてみると、1丁木綿豆腐が混じっていたため、お母さんに怒られたことはないだろうか。あるいは、ビールを10缶買ったつもりが1缶だけ発泡酒が混じっていたことはないだろうか。すべてはこの妖怪の仕業である。同じ物を複数買う時は注意しよう。この妖怪がアナタの隙をうかがっている。

座敷あらし 類似妖怪 座敷童(わらし)

 大きな座敷の有る裕福な家などに出る妖怪であるが、その姿を見た者は少ない。家宝の掛軸や高価な壺、金庫にしまっておいた現金や預金通帳とハンコが、いつの間にかなくなっていて、その家の者をあわてさせるイタズラをする。ほとんどの場合なくなったものは戻ってこないが、まれに警察を通じて戻ってくることがある。この妖怪が出なくなるとその家は貧乏になると言われている。

 都会のマンションに出る、この妖怪の仲間は、中国から来たと言われ「ピッキング」というワザを使うらしい。


枕がいし 類似妖怪 枕返し
昨夜家に帰って布団に入って眠ったはずなのに、朝目覚めると公園や神社で石を枕に寝ていたことに気づき驚いたことはないだろうか。昔はキツネに化かされたと言われたこのようなことは、本当はこの妖怪の仕業である。

シマイダカ 類似妖怪 シダイダカ

 景気や株価で「右肩上がり」を期待させておいて、裏切る結果をもたらすのがこの妖怪だ。かのバブル景気を演出したのもこの妖怪である。

 一説には、かつて「シダイダカ」「のびあがり入道」などと呼ばれたこの妖怪は、はじめ小さく、見つめると巨大化して人を仰天させていたが、高層ビルの出現によってそのワザに驚く者がいなくなり、姿を消したかに思えたが、新たなるワザとともに復活をとげたと言われている。


真裸(まっぱ) 類似妖怪 河童(かっぱ)

 独り暮らしの若い人に、家に帰るとすぐに衣服をすべて脱ぎ捨て真っ裸になる、いわゆる「裸族」が増えているらしい。これはこの妖怪の仕業である。一糸まとわぬ子供、本当の童の姿になることから「真童」と名付けられたらしいが真偽は不明。外国にはこの妖怪に操られた男女が集う浜「ヌーディストビーチ」なるものが存在するらしい。

 一説には、河童が冬になると山に入り山童(やまわろ)になると同様に、真童に操られた人間も誰かにその裸を見られると、大童(おおわらわ)になって衣服を着けるという。


モクモク煙 類似妖怪 目目連(もくもくれん)
嫌煙権の広がりで、喫煙場所が限られてきた愛煙家。禁煙スペースでコッソリとマナー違反する者も後を絶たない。そんなマナー違反者が周囲の人目を気にしながら一服。誰もいないはずなのに誰かの視線を感じることはないだろうか。それはこの妖怪に見つめられているためだ。あるいは、誰にもバレていないはずの悪事が噂として露見するのは、この妖怪に見られていたためだ。昔の人はこのことを「非のない所に(モクモク)煙はたたず」と言い、今では「非」を「火」と言い換えたことわざになっているほどだ。

エコ娘 類似妖怪 猫娘
 正義の妖怪である。公衆道徳に反しゴミのポイ捨てなどをした場合、相手が誰であろうとも臆せず注意をする。反論などするとひっかかれる場合があるので注意が必要である。とくにエコロジーに関心があり、地球環境のことを考えているらしい。ネズミが出没するようなゴミ捨て場周辺に現れるといわれている。エコ娘が十数年以上経つとシッポが二またに割れ、ゴミの出し方にうるさい近所のおばさん、通称「エコ又(類似妖怪 猫又)」に変化するといわれている。

片歯車 類似妖怪 片輪車
 話がなぜかかみ合わない、そんなときはないだろうか? どんなにツーカーの仲でも、この妖怪が近くに現れると、いつものように話がはずまず、下手をすると喧嘩に発展することもある。この妖怪自身もかみ合うべき仲間を探して世の中をさまよっているという。そのさまよっている姿を見たものは、一様に悲鳴を上げる。「ギアーッ!」と。

ひとばん 類似妖怪 飛頭蛮(ひとうばん)
 急に休みを1日もらえた。どこかへ出かけようと思うのだが結論が出ないまま床についた。眠りにつきながらも、行き先に迷ったことはないだろうか。一晩をもんもんとしながら。あるいは、気にかかる人や物が夢の中にまで出てきて心わずらわせたことはないだろうか。一晩を鬱々としながら。そんな浅い眠りの一夜を過ごしたのはこの妖怪の仕業である。この妖怪はとりついた人間の体から頭を切り離し、頭だけを夢の中へ閉じ込め、その間自分が頭となって体を自由にするという。朝起きると体がだるいのはそのせいである。妖怪にとりつかれたかどうかを調べるには、首を見ればよい。もし、上下に2つの印があれば、この妖怪にとりつかれた証拠である。

縁(ふち)転び 類似妖怪 土転び(つちころび)
 子供は危険なところで遊ぶのが好きだ。親から禁止されていることをこっそり楽しんだりする。塀の上を歩いたり、歩道の車道際のブロックを歩いたり。だが、気をつけなければいけない。この妖怪が後ろから狙っている。バランス感覚が良いと思っている子供ほど狙われやすい。得意げになって、塀の上を歩いていると、この妖怪に脚をすくわれて、転げ落ちて大ケガするかもしれない。

どぶすま 類似妖怪 のぶすま
 夜、暗がりに現れる妖怪である。後姿は普通の女性のようだが、好奇心から顔をのぞき込むと、ハッと息をのむ。美しすぎるからではない、その逆で、大きくゆがんだその顔はその晩の夢に出てきてうなされそうな代物だ。この妖怪の困ったところは、人間なのか妖怪なのか、判断がつかないところである。どちらにしろ好奇心から顔をのぞき込んだことを後悔することになる。画家のパブロ・ピカソがこの妖怪に出会ったために画風が変わったのは有名な話である。

 一説には、闇夜に通行人の顔を覆って驚かす妖怪「のぶすま」が、街灯で明るい現代の夜に、通行人を驚かすために変化したものといわれている。顔を覆っていた妖怪が、顔を覆いたくなる妖怪に変化したと。


家(か)鳴り 類似妖怪 家鳴り(やなり)
 マンションやアパートなどの集合住宅に現れる妖怪である。ドアをたたく音、蹴る音が聞こえ、さらに「居るのはわかってる」「金返せ」「出てこい」などの罵声が聞こえてくる。どこの部屋なのか確かめるため、ドアを開けても判然としない。どうせ自分には関係ないと思っていても、なぜか、いやな感じがする。もし、自分の部屋のドアがたたかれることを想像すると、かなり恐い。

アマメハゲ 類似妖怪 アマメハギ・ナマハゲ
 「ハゲ」の家系ではないのに、年々頭髪が薄くなる。その「ハゲ」具合も中途半端で、進行が止まったように見える。それはこの妖怪の仕業である。薄くなった部分の毛を植えたり抜いたり、花壇の手入れをするように丹精込めて「中途半端な段階」にとどめてしまう。すっかりハゲれば「スキンヘッド」にしてもいいかな、もう少しハゲると「カツラ」にしようか迷うところだが、その前の段階で「ハゲ」の進行が止まったように見える。なんとも「甘め」なハゲ具合。
カエル。「RPG風けもの道」に登場するキャラクター。クリックするとこのページのトップへカエル
イノシシ登場
戦うクマ
ミノタウロス?
ダンジョン
怪しい影